2018年08月17日

永山幸子のプロフィール


【永山幸子のメッセージ】

「私は・・、何のために生きているのか?  なぜ、ココに存在しているの・・か?」

中学2年の、学校からの帰り道、ふと、浮かんだ問いだった。瞬間、胸の奥に穴が開いたような感じと同時に感覚が一変した。リアルだった全てのモノが、体の感覚さえも、遠く、感じられた。かすかな不安が、少しずつ強まりながら広がっていく。「ヤバイ!」。あせった私は、自分を引き戻すかのように、慌てて教科書を開いて意識を集中した。…感覚が戻ってきた。「な…、なんだったんだ…」胸はまだドキドキしていた。
その後も、その「問い」は幾度となく浮かんだが、その都度振り払ってきた。今思えば、その後の人生は、その「答え」を探す道だったと言える。

いろいろあった高校2年の夏頃から、気が付けば、いつ、どこで、誰と居ても、何をしていても、違和感が有り続け、居場所がないと感じた。常に、「死」を思い、「死」(自殺)に向かう状態が続いていた。見かねた母に、半ば騙されて連れて行かれた霊能者。祖母は神様と呼んでいた。彼は、「死神が命を奪おうとしている」、「ガラスのような心だ」と言っていた。

30歳の頃、皮膚炎を発症した。いくつもの病院を訪ねても、良くなるどころか、日常生活に支障をきたすようになっていった。そんな有り様に、何か根本的に間違っているのではと思い始めた。それが精神に心を向けるきっかけだった。幾人かの精神世界の本を読み、気功師、ヒーラー、新興宗教、自然農法など、様々な人と出会い、セミナーにも出掛けた。が、どれも直ぐに違うと感じてやめた。ただ、日月神示を読んだ時、分からないながらも、「肉食が心身を穢し、病になる」という考えに至り、動物性を一切排除した完全玄米菜食を始めた。かなりの忍耐と努力を要した。皮膚炎に何の変化もないまま、4年経ったある日、子宮がん検診で異端細胞が見つかった。「そんな馬鹿な、そんな筈は・・・・」、凄まじい衝撃に涙が溢れた。そして気付いた。

そこに居たのは、様々な制約で自分を縛り、縮こまってガチガチに動けなくなった、ギスギスした私だった。

そして、1997年、運命を大きく変えていく一冊の本に出会う。長谷章宏氏の著書、「西暦2000年ミロクの世が開かれる」だ。読み始めから息苦しさを感じ、読み終えたときは、身動き一つ取れず、言葉を失い、息が止まるほどの衝撃を受けた。
「本物だ。とうとう本物に出会った。」、喜びに湧きたつと同時に、「真理に背く、真逆の生き方」をして来た事実に、凄まじい恐怖に襲われた。「今の生活」を続けることも、「本来の生き方」に変えることも、どちらも怖かった。究極の選択を前に、動けないまま、「今の生活」を続けた。
知ってしまったことは消えない。それからの10年、真理に心を塞いでいても、折に触れ向き合う時が訪れ、その度に、真理と今の自分の狭間で気が狂いそうになった。激しい苦しみの一方で、通称「長谷本」は、実生活での様々な困難から折れそうになる自分の支えとなった。当時の私は、真理の一部分を切り取り、自分に都合よく利用したのだった。

2006年12月30日、初めて長谷章宏氏のセミナーに参加した。翌2007年8月下旬、再びセミナーに参加後、既に活動していた東京メンバーの活動に加わった。週末毎に集まって話したり、長谷章宏氏のセミナーを開催したりした。しかし、活動への違和感や疑問から、年末、夫と共に、長谷氏の自宅を訪ねた。そして、年が明けた2008年2月、「新しい生き方」を伝えるべく、京都に移り住み、4月にTLC匠を仲間と共に立ち上げる。
本当の「新しい生き方」の何もわかっていなかった私は、素直じゃないだけに歩みも遅く、それまで以上の苦難となった。その一方で、苦しみを抜けるたび、前より落ち着いた状態となり、問題も悩みも減っていった。けれども、本当の一番最初に道を外した張本人ゆえに、今も天国に生きておらず、激しい苦しみに陥ることを繰り返しているが、真理を手放す選択肢は私にはない。

当時の私は何もわかっていなかった。
今もすべてをわかっては、いない。

そんな私だが、一つだけ、わかったことがある。
唯一、誰よりもわかることは、「自分のこと」だと。
自分と素直に向き合い、向き合い続けていくことが、
「新しい生き方」への歩みとなる。




~永山幸子(ながやま ゆきこ) 略歴~
 1961年 青森県青森市に公務員の次女として生まれる。
 小学3年の夏、宮城県古川市に父の転勤により転校。
 小学6年の夏、岩手県盛岡市に父の実家に移住。
 地元の高校卒業後、様々なアルバイトを経験した後、23歳で医療器械販売会社に就職。
 27歳で結婚、29歳で家を建て、38歳で離婚。
 44歳で東京在住の永山拓美と再婚、医療器械販売会社を退職し東京に移住、
税理士会社でアルバイトをする。
 46歳で京都に移住、TLC匠を立ち上げる。
 3年後、官公庁でアルバイトしながら、TLC匠を継続し現在に至る。
 現在は専任。

 小学6年から手のり文鳥を継続して飼っている。
現在は、「くう」ちゃん♀と「たぁ」くん♂がいる。
 岩手では、休日はいつも、スキーやパラグライダーに出掛け、
仲間と関東や東北のエリアを訪れていたが、
42歳のときの大怪我以降、スポーツは中断している。

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